歴史1


2003/12/30


前世紀

勝者なき戦争

 21世紀初頭の話。 それは、ある観測結果から始まった。

 宇宙から降り注ぐ放射線量の増大。 調査の結果、それは宇宙の中心部から来る、 太古の爆発の名残であることが判明した。 そして、今後も放射線量は増加し続け、 ピークに達する50年後には、 とても人間の生きていけない量の放射線が降り注ぐと。

 この報告を受けた上層の人間たちは、 パニックを防ぐためと称し、 この件についての緘口令をしいた。 そして、秘密裏にシェルター建設の計画を進め始めた。

 しかし、人の口に戸は立てられない。 ましてや、事が事である。 造られたシェルターに入れる人間の数は限られている。 その限られた人数しか入れないシェルターに逃げ込むのは、 いったい誰なのか。

 情報は漏れた。 この事実を知ることができ、 しかしシェルターに入る権利を得られない人間が、全くいないわけはない。 その中にいた、この事実に対して怒りを覚える者、 この事実を利用しようとする者が、 この事実を世間に知らしめる。

 最初に起きたのは、暴動やテロである。

 「どうせ助からない」

 その思いが、彼らを凶行へと駆り立てる。 デモや行進など平和的なものから、 重要人物の誘拐に施設の襲撃、果ては自爆まで、 連日のように事件が発生し、 治安は急激に悪化していった。

 そして遂には、国内の不満をそらそうと、 戦争を始める国まで現れる。

 「あの国は他国から奪い集めた富で、自分たちだけが助かるつもりだ」

 「富を公平に分配し、より多くの人を助けるために戦わなければならない」

 「正義は我々にある」

 と、このような論法で、自暴自棄になった若者を戦場に狩りたてる。 いずれ来る放射線の脅威の前には、 ダーティウエポンの使用すらためらわなかった。 自爆するときに使う爆弾が、普通のものである必然性はない。 先進国の都市を、核兵器や生物兵器が襲う。
 それに対する報復行動として、それを上回る反撃が行われる。 結局、宇宙からの放射線を待たずして、 地球上には多量の放射能と危険なウィルスが蔓延することになった。


逃亡劇

 予定より早く、地表は人が住むのに適さない場所となった。 一部のシェルターは完成していたが、 未だ建設中のものも多かったし、 テロリストの手によって破壊されたものもあった。 もともとシェルターに入れる人数は限られていたが、 このことにより、さらに制限される結果となった。

 結局、シェルターへ逃げ込めたのは、当初の予定の30\%ほどの人数でしかなかった。 その内訳も、予定とは大きく異なった。 シェルターを造った人間の考えとしては、 当然のことながら自分たちを中心としたエリートとその家族、 それに彼らを支える下層の人間で、シェルターの住人は構成されるはずであった。
 しかし、状況の加速度的な混乱の進行は、それを許さなかった。

 シェルターの建設に関わった者のなかの一部が、 事態の推移を手をこまねいて見ていては自分たちは見捨てられると気付き、 シェルターの早期占拠に踏み切ったのである。

 シェルターは外部からの侵入に対し、鉄壁の防護を持つ。 あとはパスワードを書き換えてしまえば、 もう誰も入ってこれない。

 強固な警備を敷いていた特に重要なシェルターは無事だったが、 ここにきて指示を出す人間と出される人間との不仲が決定的なものとなったため、 各シェルターに逃げ込んだ人間の種類は、 それぞれのシェルターについて非常に偏ったものとなったのであった。


地下

 シェルターに逃げ込むことの成功した者たち、 彼らにもまだ大きな障害が残っていた。 宇宙から放射線を一時的に避けるため、という本来の目的上、 ほとんどのシェルターは永続的な使用を考慮されて造られたものではなかった。
 しかし、現在の状況では、どの位の時間が経てば地上が安全になるのか、 さっぱりわからなくなっていたのだ。

 致命的なのは、ウィルス「ナイアールHT1」の蔓延だった。 これがなくならない限り、地上は危険である。
 しかし、いったいどれだけ待てば、このウィルスが全滅するというのだろうか? それどころか、果たしてこのウィルスが全滅する日は来るのだろうか?

 かくして、 シェルターの長期使用に備えた改造の必要性、 長期生活のための社会体制および生産体制の確立、 居住者の所有技術、出身階層、男女比などの偏りのために起こる問題の調整、 などなど、各シェルターは様々な問題を処理する必要に追われた。
 そして、その過程で内部分裂を起こし、 自滅していったシェルターも少なくなかった。


新人類

 地上に取り残された者たちは、地獄を見ることになった。

 テロや戦争の傷跡が大地を抉り、瘴気を発している。 しかし、それを治療する者、できる者はどこにもいない。 各国の首脳は逃げるか死ぬか、力を失うかで、どこの国も無政府状態となっている。 人口は激減し、流通も途絶えている。 今日、食べる食料の確保すら難しい状況で、治安は皆無と言っていい。

 そして何より人々を苦しめたのが、核兵器由来の放射線症と、生物兵器由来のウィルス疾患である。 治療法もわからぬまま、次から次へと人が倒れ、放置されたまま朽ちていった。 さらに腐った死体に菌が繁殖し、昔からある旧来の伝染病が発生する。

 泥沼のような悪循環の中、地上に残された人類が滅亡するのも時間の問題と思われた。 しかし皮肉にも、最も人々を苦しめた人工物の手により、人類は永らえることになる。



 ナイアールHT1、それは人の作り出した最悪のウィルスである。

 植物にも動物にも感染する強い感染力を持ち、飛沫(空気)感染で広がる。 感染したら一週間以内に発症し、致死率は植物なら50\%、人間なら90\%にも及ぶ。 生き延びた残り10\%も、遺伝子が傷つけられ、身体的、精神的に重度の障害が残った。

 どこが造り、ばらまいたのかは記録に残っていない。 わかっているのは、世界中に広がった混乱の最中(さなか)に、 誰も気付かないうちに現れたということだけである。

 ナイアールHT1の効果は絶大で、あっという間に世界中に広がり、 人間のみならず、大量の生物の命を奪っていった。



 ナイアールHT1に感染しながらも生き延びた人間には、様々な後遺症が残った。 それらは、失語症、半身不随、白痴など、 身体の機能の一部が失われるようなものが一般的だったが、 中には 片腕の筋肉の肥大化、嗅味覚の異常発達、 皮膚の角質化による突起状器官(ようするに角の類)の形成、 体毛の増加、消化器の変異による食料の嗜好の変化など、 特異的な変化を起こす者もいた。

 そして、彼らの身体に共通して起きていた変化が、 ずっと後になってから明らかになる。 それは、肉体の全般的な耐久度の、異常なまでの上昇である。

 一度ナイアールHT1に感染した者は、他の細菌やウィルスをほとんど寄せ付けず、 また、汚染地域に住んでいたにもかかわらず、放射線障害がほとんど見られなかった。 彼らの子供たちは奇形や死産が多かったが、 生き延びることのできた者は全て、同様の体質を受け継いでいた。



 地獄の中、次々と人が死んでいく中で、 ナイアールHT1に感染した生き残りだけは死ななかった。 他の人間が全滅したとき、彼らだけが地球上に存在する人類となっていた。

 もっとも、本当に彼らを人類と呼んで良いのかはわからない。 代を重ねるごとに障害を起こす遺伝子は淘汰され、 生存競争に有利に働いた遺伝子は継承された。 そうして生まれた者たちは、段々と人類とは違う生物となっていった。

 そして、シェルターから出てきた人間たちは、彼らをこう呼んだ。 変異体(ミュータント)、と。


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